みぬまちょこっとコラム

自然と向き合い暮らしを築いてきた人々~3

みぬまちょこっとコラム

~その2からのつづき

馴染みある通りの傍に

463号を過ぎて三室付近を通り,産業道路を渡って上木崎の赤山通り商店街が,あるらしいのですが…….

「よみさんぽ」編集委員から教わった,タウン誌「浦和」1979年8月号(No.124)には,「わたあめ,いかやき,とうもろこし,そして金魚すくい,かぶとむし,さわがになど色とりどりの出店にちびっ子たちの歓声が夏の夜空にひびく」と賑わう「ちびっこ天国」の記事が紹介されていました.私も幼かった頃,こうした縁日を楽しんでいました.近所だったら行っただろうな.

与野駅前を過ぎて新都心大橋でJR線を跨ぎます.かつて与野橋と呼んでいましたが,新都心周辺開発でしばらく使えなかったときはとても不便でした.国道17号に降り切る前に,ビバホームの裏あたりに入って与野東中学校と下落合小学校の間を行きます.その道と17号の交差点が「赤山通り」,ようやく私にとって馴染みのある「赤山通り」になります.

埼京線の高架下を通って鴻沼川にかかる赤山橋の袂に,1726(享保11)年に建立された石橋供養塔があります.よく見かけていた塔ですが300年近く前に建てられていたとは.

先人たちの偉業を伝える

本町通りを過ぎて新大宮バイパスの「赤山通り」交差点を抜けると円阿弥に入ります.ここに伊奈氏の円阿弥陣屋跡「御屋敷山」があるようです.南下したところのバス通りに,「陣屋」というバス停があったのを思い出しました.今は住宅街になっていますが,この辺り一体に陣屋が築かれていたのかと思いを馳せます.

水判土(みずはた)という広い交差点を抜け,だんだんと河川敷の景色を感じるようになり,土屋陣屋の跡に辿り着きます.馬宮コミュニティセンター向かい,「永田医院」の看板を目指して立ち入ると,忠次が荒川の改修・新田開発を行うために構えた「土屋陣屋」の長屋門が静かに佇んでいます.まるでタイムスリップしたかのよう.

 

門を仰ぐと時代劇で見たような籠が2基吊るされていて,しげしげと眺めてしまいました.現在は個人所有で見学は可能とのこと.周囲を巡らせている堀も手入れされていて,大事に維持されていることが伝わります.

実際に使われていた籠がそのまま吊るされている

ここで今回の小さな旅は終点.

私がその時々に通っていた道が1つの道につながっていたこと,自然と向き合い,共に暮らしを築いてきた人たちに驚きと感謝の思いが湧いた旅となりました.(記 永瀬恵美子)

イラスト・永瀬恵美子

~出典~
さいたま市ホームページ>グラフ誌版広報誌「楽楽楽さいたま」
秋葉一男・青木義脩編:埼玉ふるさと散歩 さいたま市,2003年
川口市教育委員会文化財課:歴史絵本 伊奈☆忠治,2022年
街道歩き旅.com>歴史街道あるき旅
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